短編小説、ロライマ山 4/7

冒険気分は終わらない

夜のうちにパラパラと降っていた雨も、朝にはすっかり上がっていた。ただ、これからいよいよ登ろうというロライマ山にはしっかりと霧がかかっていて、すぐそこに見えるはずの山の頂上さえ見えないといった状態だった。登っているうちにそれが晴れてくれる事を願いながら、どっちにしても僕達にはその山を登る以外の選択肢は無かった。
朝食の後、颯爽とテントをたたんでアルゼンチン夫妻と、スペイン人二人は歩き出していた。あわてて、僕が乾かしていたテントをたたみ始めた時、マイコーオヤジは、山へ登ろうと僕の前を何も言わず通り過ぎようとした。昨日、自分も使っていたテントをたたむ事もせずに僕に任せて通り過ぎる態度にさすがにムカついて、「Could you help me?」と僕は通り過ぎようとする彼に話しかけた。「Do you need help of me? Where is Steave?」という、あくまで手伝おうとしないマイコーオヤジの態度にマジでムカついて「Its our tent, you know? Where did you sleep last night? You have to do, alright?」と普通に反論。英語って敬語とかの概念が日本よりゆるいから、一応年上の人にでもいいやすいなあ、などと言ってから思った。「You are right」と一応マイコーがおれて、二人でテントをたたむ・・・まあ、悪態は続けてくれた方がこっちとしては分かりやすくて付き合いやすいかなあ、などという風にも思ったりして・・・
そんなこんなで、とにかく出発。ついにロライマ山の頂上を目指して歩き始めたのだ。
道は時々両手を使わないと登れないところもあるくらいで、昨日までとは打って変わった。草原がちだった道も完全に森の中を登っていると言う感じになった。正確には、それは森と言うよりは、僕のなかでジャングルだった。植生は本当に変わっていて、シダ系の植物が多く、コケ類も豊富。樹木は完全に苔むしていて、フカフカのミズゴケに覆われた枝も珍しくなかった。これは小さい頃、図鑑で何度も見た恐竜時代の植生そのものではないか、僕は大げさでもなんでもなくそう思わされた。「一体どこの植物園やねん」などと心の中で考えつつ、気分はすっかり川口浩探検隊だ。シダの新芽がヌルヌルの液体に包まれたままなんとも言えない渦を巻いて顔を出していたり、真っ白な綿のような菌がフカフカのベットをつくっていたり。「なーんじゃ、こりゃ」と時々呟きながら、僕はひたすらロライマ山を登った。時折、シダの木の隙間からロライマ山の絶壁が垂直に立ちはだかっていた。時々、ハミングバードが飛んでいるのも見えた。もう何がなんだか分からない。そして、雨こそは降っていないが、道のりは完全に霧に包まれていて、周りの景色はそれほど見えない。自分の周りの苔むした不思議な植物だけがその霧の中で見えていて、その雰囲気が益々僕を川口探検隊の気分にさせてくれた。
そして、そんな山を自分の脚で登っている事が快感でたまらなかった。また、都合のいい事に、ここには蚊もプイプイもその類の虫は生息していないようで、汗だくにはなっているものの、不快な気分は最小限に抑えられていた。なんて、都合のいい贅沢な山だろう。それは間違いなかった。これが旅なんだな。僕は改めてそれを確認した。

頂上が近づいてきたあたりで、滝の下をくぐらなければならない場所がある事を聞いていた。滝と言うのが想像できなかったのだが、結構な高さから降り注ぐ滝は、土砂降りの雨のように地表に降り注ぎ、瓦礫のような岩が転がる場所に流れ落ちていた。どうって事は無い。荷物をビニール袋で多い、ビニール製の安いポンチョをかぶって強行突破をするだけだった。何が楽しくて、何が楽しくないか。何が苦労で、何が苦労ではないか。それはその時にならないと分からない。滝の下をくぐるという面倒な行為は、その時は楽しくてたまらない事となっていた。
滝をくぐり、頂上の気配が迫っていた。そのあたりで、先についていたリカルド達もいて、みんなでもう少しだと話し合っていた。後から僕らを見守っていたガイドのロジャーもそこへ着き、一休みした後、彼はこういった。「Let's finish it」と。その響きがたまらなく嬉しかった。
頂上付近は軽く霧に包まれていて、見通しはせいぜい20メートルほど。それでも、そこが今までのジャングルのような森ではなく、黒い岩を中心に出来たなんとも言えない景色が広がっている場所である事ぐらいはよく分かった。ガイドのロジャーの通る道を時々は両手を使って、岩を越える。岩と砂と湿原の広がる今までにはみた事の無い空間。霧がかかっていて見えない先のことを考えるとわくわくしてたまらなかった。
そのうちに、今日のキャンプ地に到着。そこは、岩山に出来た小さな洞窟のようなところで、テントを3つ並べるのがやっとという場所であると共に、これほどキャンプに適した場所はこのロライマ山の上にあるだろうか、と思わせてくれるほど快適そうな場所でもあった。
そこで全員でロライマ山の山頂にこれたことを喜びあい、テントをはり、昼食をとった。
午後からは、ロライマ山の本当の山頂を目指して歩く。重いバックパックはキャンプに置いておけるので、今までに比べて随分身軽な自分が嬉しかった。もう、自分の中ではバックパックを背負った移動が当たり前のように感じていたから。人間は慣れる事が出来る生き物だと本当に思う。
ここについた時の霧はウソのように晴れて、ロライマ山の全容がようやく分かってきた。頂上は黒い岩で出来た岩山がどこまでも広がっているように見える。
岩で出来た湿地帯のようなところである事が分かるのだが、本当にわずかな土の上に植物が生えているような印象を受けた。水の色は紅茶のような澄んだ茶色。時々ある、砂地の砂は奇麗なピンク色だ。不思議な色の組み合わせが、気分をさらに盛り上げてくれる。ピンクの砂の上を静かに流れる紅茶色の水の横をあるいていく途中には、いくつもの六角形の柱状の水晶が転がっている。一部の岩は基本的に石英で出来ているようだ。不思議な世界である気分は、とどまる事を知らない。変わった植物の中には、毛氈ゴケのような食虫植物も見られ、この土地の養分は大して無い事を物語っていた。
小一時間ほど歩いた後、少し岩肌にてをつきながら登り、着いた場所はロライマ山の本当の山頂だった。どこまでも続いているような黒いごつごつの岩の湿地帯はそこで切り立つ崖に変わっていた。その下は霧で全く見えなかったが、その下には、自分が昨日いたキャンプがあるのだとロジャーが教えてくれた。そこでロジャーに、感謝の気持ちを込めながら握手を交わした。ありがとう。僕は、ロライマ山の山頂まで来る事が出来たのだ。全員で記念撮影をしたあと、それぞれ、思い思いに青空の下、霧の上にそびえるロライマ山の空気を思いっきり吸い込んだのだった。けれど、僕はやり遂げた気持ちで胸がいっぱいになるわけでもなかった。何故なら、まだ、これでトレッキングが終わったわけでも無いし、明日は何を見れるのだろうという期待で胸はいっぱいだったからだ。
その日の、夕食はあまりおいしく無いパスタだったけれど、幸せな気持ちで食べられたことはいうまでもない。こんなところでもきっちりと夕食を食べさせてくれるロジャーとポーターに本当に感謝をしたものだった。
夜の問題は、マイコーオヤジである。しかし、彼自身も同じテントで3人で寝るのは相当嫌だった模様。そして、今日のキャンプは洞窟のように岩がくぼんでいるところ。だから、雨もしのげると言う事で彼は一人テントの外で寝たのだった。虫もいないロライマ山の上だから出来ることだろう。ただ、山の下は真夏のような暑さでも、ロライマ山頂の夜は結構冷える。僕は、ダウンジャケットを来たまま寝袋にはいって寝ていたくらいだ。そんなところで外で寝て大丈夫なのかと心配にはなった。寒くなったら、テントの中においでよ。と、偽善的に彼に声をかけた後、僕はスティーブと二人、テントの中で寝たのだった。
スティーブはどうやら、風邪をひいたらしく、頻繁に鼻をかんでいた。僕は、いやな予感もしていたが、まあ、どうにでもなれと思いながら、目を閉じた。岩をつたって落ちる水の音と、少し離れたところで聞こえる、不思議な動物の鳴き声のようなマイコーオヤジのいびきを聞きながら。