短編小説、ロライマ 3/7

明日、登頂する

6時くらいに目が覚める。朝ご飯の後、リカルドはガイドを待つこともなく、一人で先にロライマ山へのトレッキングを再開していた。彼の風貌は、海原雄山をアウトドア派にしたような風貌で、長い髪とサングラスがよく似合っていた。そして、それはイカつかった。けれど、正確は陽気で絵に書いたようなスペイン人だ。アルゼンチン人夫妻もそれに続き、僕もぼちぼち出る。ガイドは、僕達の朝食の後始末やらで多少忙しいようだ。ロライマ山へは完全なトレースが出来ていて、一人でも特別道に迷うことはないようだ。
この日の道は大きな丘を越えながら徐々に標高を上げていく道で、途中には湿地帯のようなところも点在していた。昨日までの道は自分の後ろに続いている。振り向けば眼下にはなだらかな丘の連続する果てしない草原が広がっていた。乾ききった大地に、青空と白い雲が映える。どこの国でも時々はありそうなこの景色は、どこで見てもそれぞれに良いものだ。
僕は二日目と言うこともあり、登る調子は余裕である。トレッキング中の水は、その辺の河で汲んだ水に塩素のタブレットを入れて飲む。その味は、水道水と言うか、夏のプールの水のような味だった。中学生の頃、僕は水泳部にいて、塩素の味はかつて毎日のように付き合っていて慣れ親しんだ味だった。ロライマ山を目指しながら炎天下の下で、くたくたの体に流し込むその味は、なんとも言えないデジャブのようなものを僕に感じさせる不思議な味だった。目の前のロライマ山はと言えば、急に雲に覆われたかと思えば、一気に雲を吹き飛ばすかのようにその姿を現したりとなかなか忙しい山だった。頂上の天気は変わりやすいと言う話は、大げさな話でもなんでもない事が良く分かった。少しづつ迫るロライマ山の岩肌は、茶色とピンク色を混ぜたような色で、完全に垂直にそびえるその姿は異様なもの、そのものだった。
この日のキャンプには、昼頃に到着。そこで昼食をとり、午後は完全なフリータイム。このトレッキングはそれほどハイペースなものでは無いらしい。体力の有り余っている、リカルドやカナダ人のスティーブは今日のうちに頂上まで行きたそうにしていたが、昼過ぎから夕方にかけてはものすごい雨が降り、偶然のこのスケジュールに全員が感謝をしたものだった。
雨が降るまでの間の時間は、のんびりとしていて素敵な時間だった。アルゼンチン人夫妻は、テントに二人では行ったまま出てこない。スティーブは近くの高台で読書に励み、スペイン人の二人は二人でどこかへ出かけていった。
なんとなくテント付近でボーっとしていると、デンマーク人のオヤジが「Nothing to do!」を口癖にやたら絡んできて、最初の方は彼との会話も面白かったのだが、自分の話を中心にし、他人の意見を認めない彼との会話はだんだんと面倒くさくなり、僕もその辺の散歩に出かけていた。雨が降り出すまでの間は。
思えば、少し出っ張った岩の上に寝転がって、ロライマ山を眺めながら過ごしていた時間なんて贅沢なもの、そのものだったかもしれない。自分の足でこれから登っていくと言う、なんともいえない気持ちの高まりと共に、まるで大きな怪物にたち向かうかのような自分の状況がなんとも素敵だった。
夕食の後、今日も3人でテントで寝るわけなのだが、中々大変な夜だった。夜の間、小雨のにわか雨が降っていたのだが、自分達の使っていた安物のテントはテント縁の縫い目から雨漏りをかましてくれたのだ。端で寝ていたのは僕とデンマーク人のオヤジ、マイコー。僕は、ペットボトルを立てて、自分とテントの間に隙間を作り、スリーピングマットもひいていたのでそれほどうろたえる事も無く眠る体制が出来ていた。問題は、マイコー、オヤジである。ペットボトルを置けば良いと言う僕のアドバイスも聞かず、「I cant sleep!」をひたすら繰り返す。もはや子どもである。後で聞いたのだが真ん中で寝ていたスティーブは夜の間中、体をゆすって起こされたり、寝返りの時に蹴られたりして大変だったらしい。そのとばっちりは確かに、僕の方にもとんできていた記憶はあるのだが、全て無視させて頂いていた記憶があったりする。さらに、彼はキリマンジャロにもかつて登頂したりと、トレッキングには慣れているらしいのだが、トーチライトを持っていなかった。夜中に何度か、「Can I use your light?」と僕は起こされりした。とにかく、寝れ無かった彼は確かに気の毒なのだが、この年でここまでまわりに気を使えない彼は、迷惑を通り越しておもしろかった。遠くから眺めていれたとすれば・・・