3R

地球を救え〜萌え〜

大学の頃よく耳にした3Rっていう言葉が、この頃公共の電波でも耳にするようになっているな、なんて思う。それはいい事だと僕は思う。
3R。つまり、リデュース、リユース、リサイクル。持続可能な社会を目指す上でモノに対して時々使われる言葉。ちなみに、優先順位もこの順である。リサイクル(再資源化)は、響きがいいけれど、わざわざ多量の電力などのエネルギーを使用して何かに作りかえるよりは、そのままの形でリユース(再使用)する方がいいし、そもそも最初から使わないでゴミやらをリデュース(減らす)すればいいのだ。
ペットボトルを例にすると、リサイクルとしてゴミの日に出すよりは、水筒として再使用した方がいい。けど、そもそも出来ることなら買うなよ。と言う事です。(ペットボトルのリサイクル率、久々に調べて見ると6割は越えてるみたいだ。ようやくここまできたんやな、と思う。それでも、単純計算で、4割はやっぱりゴミになっている。)ちなみに、5Rってのもあって、リフューズとリペアが加わる。レジ袋を断ることや、壊れてもを修理して使うって言う事。

僕は、自分がつゴミをくりだす事に少し罪悪感を感じてる。そして環境問題は、宗教みたいなもんなんだと僕は前から、時々口にしている。
僕一人がどうしたところで、地球に与える影響なんて、限りなく無いに近い。でも、自分の気持ちの中では大きく違う。悪い事をしていなかった、という救われた気持ち。自己を少し犠牲にして、何かを救ったような気持ちになれる事に安堵感を感じられる。それが、なんか宗教っぽい。もしくは、疲れてる時に電車で、老人に席を譲る事に似てるのかな、なんていう風にも思う。いずれにしても、一人が変わらないと何も変わらないと言う事は、信じてるんだけど。宗教みたいに。


でもね、収集された、サンタクロースの袋よりも大きな袋に一杯に入れられた回収されていくゴミ袋を見て、疑問を感じないか?一度だけ、液体を飲むためだけに使われる、あまりにも頑丈で立派な容器は無駄じゃないのか?それに疑問を感じていない人間は、狂ってやしないか?


そして、3Rで救うのは、地球でもなんでもなくて、自分らニンゲン様です。そんで、「持続可能な社会を目指さなくては、そのうち滅びちゃうかも僕達」っていう小さな強迫観念に悩まされてる自分気持ちが、何よりも救われるのです。そんで、さらに救わなければイケないのは、狂った大量消費型社会から抜け出せないニンゲン様です。そして、いつかゴミが減った時に食っていけなくなる産廃業者と、ペットボトル容器メーカーです。

そんな事を考えながらも枯渇していく化石燃料を浪費する娯楽を僕はやめられない。今日の単車でのツーリングは楽しかった。