Colonia Okinawa

ここはボリビアです

サンタクルスに着く。高地から低地に降りてきたので、11月が9月になった感じの暑さ。だるいと思いながら、早速ブラジルビザの申請。銀行振り込みをしたり、少し面倒。何より面倒だったのは、スペイン語の旅行日程のようなものを求められたこと。でも、ブラジル領事館の人が「Notaria」に行けばどうにかなるから、というので、その言葉の意味も分からず、ひたすら「ノタリア」を探す。ノタリアは弁護士関係の何かか?ともかく、そこで楽々と日程表のようなものを代筆と言うのか、書類としてしっかり作ってくれました。そんな感じで、午前中に何とかビザの申請完了。困った時ほど色んな人が助けてくれる。グラシアス。
そして、昼から、時間がないと諦めていた「コロニア オキナワ」へ、強行日帰りを決行。ここは、戦後、沖縄の人が移民して来たつくったまち。ジャングルを切り開き、伝染病に苦しんだりしたかつてのまちの歴史には、素直に感動した。少しの冒険心を持って旅行している自分が馬鹿みたいに見えた。住民の約半分の800人は日本人。まちの公園では、お年寄りがゲートボールをしていたりして、日本人学校からは普通の日本の子どもが出てくる。不思議な感じがした。
ゲートボールをしているお年寄りに話を聞くと、ここへ来たのは1954年で、第一陣の移民だったそう。今は、こんなにのんびりしておられるけど、若い時の苦労は計り知れなかったのだろう。
戦後って言う時代、日本でも、決して楽な時代では無かったのは周知の事実。そうだ、日本に帰ったら祖父と話をしよう。昔の話をもっと聞こう。そんな風に思いながら、サンタクルスへ戻ったのでした。