歴史の証人

ヒロシマについて書いたら、少し関連したところでパキスタンの地震のことを思い出した。

パキスタンとインドで、歴史的に大きな地震が起きた時、僕はちょうどそこにいた。だから、思った、その歴史を僕も知るべきなのではないかと。そして、自分にも出来ることがあるんじゃないかと。
でも結局、「なんか危なそうやし、被災した人のために現地で自分が出来る事も無いだろう」と言う結論に。しかしながら、せめて、イスラマバードで倒壊したビルだけでも目に焼き付けようとは思ってた。あのビル以外にはイスラマバードではほとんど被害とか混乱は無いとも聞いていたから。安全に見に行けると思ったのもあり。見に行こうと思ったは、個人的な好奇心もやはりあるのだけれど、日本人である僕がそれをみて、歴史の生き証人になることは、決して悪いことでは無いと思ったから。パキスタンの人のためにも、それを聞かされる人のためにも、自分のためにも。(大げさか・・・)でも、結局、フンザに行った帰りに訪ねようと思い、後回しに。そして、帰り道は結局、中国方面からしか帰れなくなったので、そこへ戻れなくなり、地震の被災地の慰問は出来なかった。
やっぱ、後回しにするべきでは無かったかな。本当に、見なければいけないと思っているのなら、すぐ駆けつけるはずやからな。宝塚線JR西日本の事故の時でもそう。同じようなことを考えて、結局行かずじまい。まあ、自分なんて半端な人間かな、とも思う。
ところで、僕がデリーにいた時、ケニアで半年のボランティアを終え、日本に帰る飛行機のトランジットでデリーにいた、友人に偶然出会いました。詳しくはあんまり知らんけど、彼は貧困とかの研究をしてる人です。そんで、彼は地震の一報をニュースで聞いた直後、僕が一瞬目を話したすきに、別れを告げるまもなく震源地のカシミール地方に向かっていました。それから一ヶ月以上、彼から連絡が無くて心配やってんけど、こないだようやく連絡が来ました。それは、パキスタンでボランティア活動をしていて、もうすぐ帰国するって言うメールでした。彼が、どう言う事をしていたか、詳しくは知らないのだけれど、やっぱ、マジな奴は違うわ。そいつに乾杯。半端な自分にも乾杯。僕は、ただの旅行者ですから。ある意味、旅行者としての一ヶ月を全うした自分が、自分にとっては一番正しかったのかもな。人にはそれぞれの生き方があって、全部の生き方を手にいれることは出来ないのだから。