ヒロシマ

原爆ドーム

2年前の夏、トルコのカッパドキアのレンタルバイク屋の男に、「今日は何の日か知ってるか?」と言われた事がある。そいつが自分の誕生日でも自慢するのかと思い、僕が適当に答えた、「アイドンノー」に対する、そいつの答えが忘れられない。そいつは、こう一言、「ヒロシマの日だ」・・・自分が恥ずかしくなった、それは間違いなく、その日だった。
僕は、今年の夏のその日、イエメンにいた、そこでもヒロシマの話を現地人とした記憶がある。8月になるとCNNとかでずっと取り上げてるから、みんなも知っているのだろう。パキスタンでも「ジャパニ?ウェアラーユーフロム??トーキョー?オサカ?ヒロシマナガサキ?」って聞いてきた人がいたな。
そして僕は、この夏の終わりに初めて広島市に行った。路面電車の走る良い雰囲気のまちの真ん中、青空の下にある原爆ドーム。そこの前で、ピースサインで記念撮影をとる人、画用紙を持った小学生たち、涙を流す白人。そして僕。
僕は戦争を知らない。そして、今から体験する事は出来ない。だから、せめてそこにある歴史的な建物の向こうに、それを想像する。ありきたりな言い方になるけれど、歴史の中には忘れてはいけないものがあると思う。だけど、「知らないもの」は忘れる以前の話になる。だから、せめてそれを知らない僕に、こんな形で歴史を伝え、歴史をそこに残し続けるこの建物は、大切な遺産だと感じる。僕は、戦争や原子爆弾の悲惨さを、実体験として子ども達に話す子はできないし、外国人に話すことも出来ない。だから、せめてこの建物を自分の目で見たかった。
ようやく訪れる事が出来た広島は、僕にその日を勝手に想像させるほど青かった。