皿の上に平等


夏も深まる8月の頃。
桜の木にはセミが何匹も群がって鳴いていました。
私は、その中から一匹のメスのアブラゼミを捕まえました。そして、家に持ち帰って焼いて食べました。



はい。この件、twitterで実況しており、いくらかの反応をいただきました。ありがとうございました。
行動的には衝動的だったものの、これにはずっと前から考えていたことがあっての行動でした。



何が食べ物で、何が食べ物じゃないかを考えていたんです。
よくある話が、クジラとかイルカの話。
捕鯨についてはいろんな意見を言う人がいるけれど、中には感情的に可愛そうだから食べるの反対だと言う人がいる。
一方で、食べることは文化で、それは食物であると思っている人がいる。



文化って何だろう。 
食べるか食べないかそれは誰が決めるのだろうってね。
そんな時に、とある書籍で見た言葉が「皿の上に平等」と言う言葉。
人として、人以外の生き物はすべて皿の上に平等である。
つまり、食べたければ食べればいいのだ。


文化とか、先入観とか、そういうものはいらない。 食べたければ食べればいいのだ。
そんな時、おなかを空かした僕の前にいたセミは食べられてしまったのでした。




ちなみに、砂糖醤油でカリッと焼きました。
味は、お寿司の車えびの殻を焼いて食べさせてもらう感じに近い。
でも、誰が調理してくれるわけでもなく、みんなが食べているわけでもないものを食べるのは少し勇気がいたけれど。
そして何より、殺してしまうセミに申し訳なく思ったりして。
それは、私自身がまだセミを「食材」として認知仕切れていないからかもしれない。
牛肉を食べるとき、申し訳なさを感じることなんて滅多にないもの。
でも、何回か食べていれば桜の木に止まっているセミを見たとき、「おいしそうだな」って思うのかもしれないね。