サラダという、ゲテモノ料理

琵琶湖のほとりの軒下で

結局、今年を虫食元年にしようと宣言したものの、カブトムシを唐揚げで食べるという事はしませんでした。
カミキリムシも、トンボも捕まえては見たものの、一人で食べるほど猟奇的な気持ちにはなれませんでした。
僕は、臆病者です。


ところで、ゲテモノ料理とは何かと考えた時に、サラダって、結構なゲテモノ料理かもしれないと思う。
数ヶ月も、土の上(土の中)で野ざらしになっていたものを、ただ水で洗うだけで食べるなんて、なんて野蛮なのかなあと。(農薬なんかもかかってるかもしれないし)
笑い話で、「料理を知らない人が、野菜を洗剤で洗う」っていうのを聞いた事があるが、気持ちは分からなくも無い。
なんでも洗う時代。殺菌しなきゃ気がすまない。部屋のホコリが許せない。毎日、石鹸とシャンプーで体を洗わなければ気がすまない。無駄に奇麗好きになる僕たち。
漂白したり、手があれる様な薬品で皿を洗う、お風呂の汚れはシュッとひと拭きでこすらなくても落ちる、そんな時代。


そんな時代に、土の上にあったものを、水洗いだけで食べるなんて、なんて下品なのだろう。落っことした飴玉を3秒ルールで食べるどころじゃない。土の上や土の中で、何日もほったらかしてあったものを、火も通さずに食べるなんて!
などと、精一杯皮肉に考えてみてました。。。最近流行っているベビーリーフを食べながら思いました。


でも、実際、最近ではサラダの野菜も工場の無菌のクリーンルームで土を使わずに作られてたりもする。野菜を「洗わなくても食べられる」がうたい文句になる時代に、既になっている。デズニーランドの野菜も、天候に左右されない工場野菜の安定供給の恩恵に授かっていると、聞いた事がある。
別に、それが悪い事ばかりじゃないのだけれど、かいわれも、もやしも、マイタケも好きなのだけれど、レタスが工場で赤色の発光ダイオードかなんだかの下で作られていてもいいのだけれど、どうか、「食」という文化が、土の上から離れませんようにと思う。土の中から掘り出したばかりのハツカダイコンを水で洗って塩をかけて食べるおいしさは、いつまでも大事にしたいと思う。