孤高の丘

孤高のヒーロー

なんとなく泣く→悲しいと自覚する→自覚したから悲しくなる→もっと泣ける。
結局感情なんて、思い込みの産物。そんなもんなので、「鏡の前、笑ってみる、まだ平気みたいだよ」という、マッキーの「どんなときも」の歌詞はあっているような気がするのです。笑えばいいんですよ。こんなつまんなくて、どうしょうもなくても。そう、逃げ出した先に天国なんてないのさ。いや別に、今僕が、そう思ってるわけじゃないんやけどさ。
ところで、泣きたい時に思い切り泣くとスッキリするのは、押し殺していたものが爆発して空っぽになるからなのだろうか。そう思うと、感情は外に出すべきもので、気持ち良く排出すると快感になるのは、喜怒哀楽全てにいえるのかもしれない。吐き出すのは気持ちがいいからね。排尿も排便もゲロも射精も、声とか涙も然り。排出すると言う行為は快感ですよね。


話しがそれたけど、ところで、悲しさとか、怖さとかよりも一番よくないのは、「どうでもいい」「めんどうくさい」って感情。これが一番の敵かもしれん。少なくとも僕にとっては。この感情で、どこまででも堕ちてイケる。腐って腐って堕落する、それもきっと気持ちいいだろうけどな。


どう生きてても明日が来るから、明日と今日を面白くしないとな。

ところで、自画自賛ながらこの写真好きやねんなー。なんかカッコよく、力強く生きてイケる気がする。エチオピアのカラカラの大地で、強く生きていた鳥の写真。