スネイルメイル

旅に出ようよ

時代の中で誰かが「手紙」と言うシステムをつくった。そして電報なんかもつくった。グラムハムベル氏は電話なんて声を伝える機械もつくった。FAXも出来たし、電波の時代の今では、メールがある。ブログだとか、人になにかを無造作に伝える事が流行る時代。ヒトとの繋がりをコミュニティに求める時代。それが悪いとは特には思わない。
でも、やっぱり改めて思う事。手紙はいいと思う事。スネールメールにこめられるものがあると言うこと。
今週、韓国から手紙が来た。パキスタンで会った、写真好きの人から。DMだとか、アマゾンの小包だとかクレジットカードの請求だとかしか配達されてこない今日この頃にはなかなか、良いものでした。いやまったく。
どれだけ液晶画面の向こう側の世界が巨大化して行こうとも、この世界はなくならないだろう。僕達は有機的な世界無しでは生きていけないから。
でも、電子メールと言うものも、いいものかも知れないと思ったのは、エチオピアのラリベラで会った人から、メールが来た事。手紙の後半は、エチオピアのお祭りについて延々と書いてあり、その意味のない文章にその人の気持ちを感じた事は言うまでもない。結局、気持ちがこもっていると感じたり、ありふれていないものに意味を感じたりしているだけなのかなんていう風にも思うけど。
手紙をくれた人が、パキスタンでくれた写真と、しばらく前に本屋で買ってきた雑誌、「旅学」の写真をのっけておきます。