傘は、いらない

僕は、基本的に傘をささない。深い意味はないけれど、面倒くさいのと、傘をさす事が僕の美学の中に無いからだろうか。大体にして、普通に街にはアーケードがあるし、僕らは大抵、建物の中にいる。傘なんか持たなくても実際、どうにでもなる。どうしようもない土砂降りの日でもない限り、僕は傘を持たない。そういや、幼い記憶の中で読んだつまらない雑誌かなんかの中で、永六輔が傘をささないと聞いた記憶はあるのだけれど、多分、僕のこれとは別だと思う。わからんけども。
さて、僕は最近、雨が好きだと認識した。大体にして、何故雨は嫌われる事が多いのだろう。僕だって、お気に入りのブーツだとかレザーのジャケットが雨で水浸しになる事は避けたいと思っている。だから、雨の日は濡れてもいい格好をする。そうすれば、雨は嫌なものでは無くなる。(どうしてもスーツを着なくちゃイケない時とかは仕方なく、傘をさす時もあるけど。そんなときの革底のドレスシューズが濡れる感覚はたまらなく嫌なのだけれど。)多分、めちゃくちゃお気に入りの傘を持つ事が出来ても同じ事が言えるような気がする。小さい時に、買ってもらったばかりの長靴を履いてわざわざ雨を楽しみにいった感じを僕は大事にしたいだけ。そうそう、かっこいい長靴なー、ずっと探してるのだけれど見つからない。雨の日でも全く気にせずに履けるかっこいい靴。パキスタンで買ったミッキーマウスの足みたいに黄色いレインブーツ(長靴ともいう)はあるのだけれど、どうもカッコよさに疑問符が残る。雨の日を楽しくさせる服をもっと持とう。めちゃくちゃカッコいいレインコートを誰か作ってよ。
また、最近、雨の日の色彩感覚を大事にしようと考えてたりする、これはフンデルトヴァッサーが言っていた事の受け売りなのだけれど。「晴れた日の色には光と影しかない、雨の日にはもっと多くの色が見えて景色はもっと奇麗に見える」みたいなことを彼が言っていて、そういう風な考え方をしてみると、雨の日の灰色がかって、ねむい色加減が不思議と奇麗に見えてきたのな。夕焼けでセピア色になった街を見ている時の気分に似ている。
雨の日を楽しむ事は、ご飯のおこげを楽しむ事に似ているかもしれない。たまにはおこげもおいしいもの。それぞれの良さを知って生きたいだけ。どうしようもなくつまらない毎日に楽しい理屈を持ちかけて、楽しい気分で過ごしたいだけなんだわ。僕は、お気に入りの傘を持っていないから、お気に入りの服の中で雨に濡れてもいい服を選んで、タオルを一枚持って出かける。雨を避けるのではなくて、少し濡れながら雨を受け入れてみる方が自然で素直な気がするから。楽しいんだわ、傘をささないっていう、とっても自然でひねくれた生き方。