くだらない人生の終わりに

帰国した。色々なことを考えながら、帰りの飛行機の中では丸一日、寝ることもなく過ごした。
誰にでも、憧れる場所があると思う。それは人それぞれに。僕の最後の4ヶ月のアフリカ大陸と南アメリカ大陸の旅行は、それを叶える旅でもあったかもしれない。
例えば、それは、ピラミッド、アフリカの部族に会う事、マサイマラのライオン。もしくは、マチュピチュ、ウユニ塩湖、ラグーナコロラダ、リオのカーニバルやアマゾンのジャングル。そして、恐竜時代やカリブ海・・・
憧れを現実にする時に、旅はとても簡単な手段であると思う。時間とお金と、少しの行動力でかなえられるのだから。それが、僕の人生の夏休みの締めくくりになった。
すべての美しいものに出会う事。僕にとってそれが旅だった。それはつまり生きると言う事と同じ。
自分の中の冒険に憧れる気持ちが旅に駆り立てた時期もあったけれど、やっぱり、旅は冒険じゃないような気がしていた、いつからか。やっぱり旅は、娯楽。それは完璧な日曜日。今、僕はそう思う。でも、それの多くの部分は、しんどかったり、面倒くさかったり、辛かったり、ムカついたりする事であるとも思う、それでも最高の瞬間を求めて、それに向かって時間を使うこと、それが旅。最高の娯楽。そこには背負わなければならないような社会的責任はない、完璧な消費の時間。
最高の瞬間は、時には冒険気分を感じる時かもしれないけれど、どこまで行っても僕のしている事は、あのみんなが手にしている黄色い本や青い本を片手に、新品の白地図を自分の色に染めて行く塗り絵のようなもの。僕は誰も行った事の無いところなんて行っていないし、誰もしていないことなんて多分、していない。でも、僕の経験は、僕だけのもの。それは、どこにも無かったもの。それはたまらなく楽しいと言う事のひとつ。
最高の瞬間も、いつまでも続くのならそれは退屈と同じ。だから、旅は終わらない。けれど、僕は旅行人をとりあえず、やめる事にしようと思う。僕の憧れは、旅行だけで叶えられるものばかりではないから。それに、現実的な話、僕は今まで買って来た時間の清算をこれからしなくてはならない。これからは、時間を売って、金銭を収入として得て、今まで先に送ってきた清算をしていかなくてはならない。それは、とても現実的な話。最高の時間は、タダで手にはいるものではないのだ。何故なら、それは娯楽だから。

僕は、自分のやってきた事に精一杯の敬愛をこめて、それをくだらない人生と言う事にする。そして、僕はこのくだらない人生の終わりを向かえる事を喜ばなくてはならない。何故なら次には、違う人生の始まりがあるのだから。始まりのある終わりは悪いことじゃない。