赤の女王

みんな感じていると思うけど、「全然いいよ」というのは、言葉の表現としておかしいのである。「全然」の後には否定形の言葉が来るはずだったのである。
数年前、最初にこの言葉を言い始めたとき、僕の中では「間違った使い方をあえてする面白さ」があったんよ。それが、今は普通に違和感なく使ってる自分がいる。こないだ、テレビでとある外国人タレントも使ってた。もう、外人さんまで言うくらい普通な言葉になっているわけなんやね。そのうち、誰も使わなくなるのか、もしくは根付くのだろうか。

言葉は進化する。それは生きている文化だから。進化するというのは、淘汰されて環境にあっているものが偶然、種を残すことの繰り返しであり、種として優れているもの(ここでは、「正しい言葉遣い」を指すだろうか)が残るわけではない。
時代を表す言葉っていうのは、おもしろい。昔からの言葉を守ることも大切って言う事はよくわかる。でも、今を生きている僕たちが、この時代にこそ相応しい新しい表現を使うこともまた文化であり、チョベリグで、ヤバくて、マンモス素敵な事だとも思うのである。わけわかめやね。死語もバリ素敵な新人類にはない文化なのかもしれんな。アイムソーリーヒゲソーリー。当たり前田のクラッカー。ナウでヤングなハンサムと萌え萌えでハァハァなボインも、よろしく哀愁
やばい。止まらんわ。楽しいな。「萌え萌えのボイン」か、なんか時代を超えた新しい表現の発見をした気がした。ポンギのオケカラでデルモの、ちゃんねえと、いんぐりもんぐり・・・ってこれはまた違うのか・・・
言葉って楽しいな。誰もが羨む様な正しい言葉遣いありきで、遊んでいけたら素敵やな。鼻から牛乳



なんか、今日は、いまだかつてないイタさや。