11月の終わりに

最近ずっと、人種、国境というのは何なのかという事をよく考えている。
なんとなく自分が、日本以外の「国」に対して差別的な感情を持っているような気がするからだ。特別にどこの国が、と言うわけではないのだが。
それは、自国への意識が大きくなったことの裏返しかもしれないが、自分的にあまりいい感じではない。

その中で、なんとなく、日本、中国、韓国あたりのことでひとつ結論が出たところがあるので、それを11月の日記の最後にして、しばらくこの話は出さないようにしようと思う。

でた結論は、彼らは国境をはさんでいても「外人さん」ではないということ。
それゆえの問題が、あるということ。「外人さん」という言葉の中には、単に「日本国外の人」、というイメージではなく。「欧米の白人、もしくは黒人」という印象が僕にはある。この言葉の中には、敬称をつけることであえて突き放し、僕らとは違うタイプの人たちなんだよーということを主張しているような気がするのである。つまりこの言葉には、「僕は彼らに仲間意識はあんまりないし、見た目も文化もぜんぜん違うからねー、まー食い違うのも仕方ないんじゃないのー」という事まで含まれていると思うのだ。

そこで、極東の人々を思い浮かべる。彼らとは、歴史的に文化に通じるところが少なからずあり、見た目は似てる。それゆえの衝突があると思うのだ。



実際にあった話だが、こんな例を出そう。
ロンドンにいたときの事、その日はある日本人の誕生日で、日本人やら韓国人やら中国人やら中心でバースデーパーティーが開催されておりました。
その誕生日の彼は、自分の誕生日だからと、今日は王様気分で祝ってもらっていました。パーティーの片付けなんかも、みんなに任せていました。日本人のみんなも今日くらいは、と特に彼を働かせようとはしていませんでした。
ところが、韓国人のある人は、それに反感を持ちました「彼は自分の誕生日で祝ってもらっているのに、なんで片付けのひとつもやろうとしないのだろうか?」と思っていたのです。韓国人の彼はその日本人が嫌いになりました。

この話を聞いて、僕はそういえば別の韓国人の男の人が、パブで、「今日は僕の誕生日だから、みんなにビアーをおごるよ」と言っていて、「いやいや、こっちがおごるのが普通でしょ!」と彼に言っていた記憶がある。しかし結局、彼はみなにビールを振る舞い、僕はそのとき彼は変わった人だなーと思っていた。けれど、前述の誕生日の話を聞いて、「ああ、そういう人が韓国ではマジョリティーなんだ」と思ったことがある。


彼らは、言語は違っても見た目的には同じであると言っても良いと思う。だからこそ、親近感も抱けるし、実は結構違うものなんだと思ったときに、なんとなく裏切られたような勝手な感情が生まれることもあると思う。文化は、似ていてもずいぶんと違うのに。
そんなことは日本人同士でもあるのだが、国境をはさんでいるとき、「だからOO人は…」とついつい思ってしまうことがある。この感情が間違いであることに絶対に気づかねばならないと思う。すくなくとも「OO人のうちの彼(彼女)は」だと思うようにしよう。無駄な人種差別的感情は無ければ無いほどいい。(この話の中で僕もすでに矛盾しているのだが)

でも、実際のところそれは難しいことがある。人間はそういう生き物である。だから変な差別がいまだにいろんなところに残り、また生まれる。僕は変な差別は嫌いである。
でも、この話に限って言えば、たとえばそれがヨーロッパの見た目もぜんぜん違う人だと「まあ、外人さんだから」「ラテン系だから」と割り切れるところもある。それが、極東の人になると、見た目が似ている故の感情もあるのではないだろうか。それはひがみであったり、対抗意識であったりもする。

もっと割り切って、すっぱりするところは、すっぱりと付き合いたい。人間関係とは、結局そうあるべきなのではないかと思う。認め合ってひがみあって競争して素直にやっていけばいいような気がする。

やっぱり、結論は出ていないような気もするのだが、僕はこう思う。
例えば、サッカーの大会で反日感情をむき出しにする人たちに好感を持つことはできない。しかし僕は、そう言った人たちがいること、なぜそういった人たちがいるかを考えることは必要だと思う。経済が豊かになれば、そういう感情も少しは収まるような気もするが、いずれにしても僕は歴史を知らなさ過ぎるのかもしれない。
一方で、僕には幸いなことに彼らと同じ国の友達も何人かおり、その中には尊敬しているやつもいる。それはそれで事実である。
それは、多くの国で言える。僕は多分、国に関してどうこう思っていても、人に対しては特別差別的な感情は持ってない。

世界中に友達がいればいい。一人、好きなやつがその国にいれば、その国のこと全部を嫌いになることはきっと無いから。お互いにとってそれは言える事だろう。なんでも「知らないこと」は「怖いこと」になるのだから。
僕には嫌いなやつもいれば、好きなやつもいる。そこに国境がどうとか、そういったことを持ち出さなければいいのだ。。。。。と言う当たり前な感じで11月は終わろう。

よくわからないことは考え続けるしかないのだ。僕は、ここに書いた僕の意見はいつまでも変わらないとは思わないし、変化し続けるのが普通だと思う。そして、もし、この意見になにか意見があれば、直接でも何でもいいから聞かせてほしいと思う。僕は毒も多少は吐くが、できるだけだれも傷つかないように書いているつもりだ。だから、特にその点で至っていない点があれば教えてほしいと思う。僕があえてこういうことをネットで書くのは、こういうことを自分の中で再認識するためなのと、人の意見を聞いてみたいとおもうからなのだから。