デヴィッドボウイに憧れて

 なんかMSNのトップの広告でデヴィッドボウイの顔を見てしまった。僕は彼が好きである。来日公演するんやなあ。見たいかぎりやけど、その時俺は英国にいるはず。ああ、入れ違い。その頃はイギリス生活にもすこし慣れてきているはずだ(希望的観測)
 ところで僕は彼が初期の頃グラムロックといわれていたときあたりの曲は個人的にかなり好きである。彼自身の中性的な変態的なところもまた好きである。非常にあこがれるものがあり、尊敬してしまうところがある。彼はロックである。

 
 ところで、僕はロックが好きだと思われがちのようだが、いまいちロックが何か?と聞かれるとそれすら答えられない。
 多くの人も思っていると思うがはっきりいって、ロックと言う言葉はあまりに広くなりすぎて、その言葉自体にはほとんど意味を持たないものになっていると僕は思う。さしあたり、音楽ジャンル分けのための言葉ではないような気がする。
 僕の中のロックは僕の中にしかない。そしてきっと人それぞれその人の好きなロックがその人の中にだけあるんじゃないだろうか。そしてロックって生きるスタイルのひとつじゃないだろうか。
 

 僕のロックの定義は、それをやってる人がロックといえば、それはきっとロックなのである。そして、それを見たり感じたりしている人がこれはロックだと思えばそれはロックなのだ。ロックは進化し続ける。ロックは生まれ変わるし、ロックは自由だ。定義も何もない。僕はロックがそういうものであって欲しいと思ってみたりしている。
 ついでに言うならロックとロックンロールは同じにしてはいけないと思う。全くの別物だ。


 人によってものすごく意見の食い違う話ではあると思うのだけれど。