オメガに乱れうち

プラハにて

高校の卒業前くらいに、フリーペーパーかなんかに載ってたベンジーが腕につけてたオメガのスピードマスターが「妙にカッコイイがや」って思った瞬間に、オメガのスピードマスターを馬鹿の一つ覚えで、バイトで貯めた金を全部はたいてでも、その時の全力の気持ちで買っておけばよかったのかなあ、などと思う。



腕時計は、僕の中で一番無駄なステータスアイテムの一つだと思う。それでも、やっぱり、丸くて大きな腕時計が欲しい。



こないだ、何故かふと手にした、カル○ィエのカタログをぱらぱらとみていると、30万円くらいのシンプルでなかなかいい感じの時計が載っていて、がんばれば買えなくもないかな・・・などと思いながら、改めて値段を見ると300万の間違いでした。 いや、その瞬間おもったのですよ「一桁値段を間違えるようなモノを身につける資格はない」と。(まあ、3,000,000円を時計に出す資格があっても、お金がないが)
いや、そりゃね、一昔前のバイトの先輩が今は青年実業家みたいになってて、フランクなんとかの時計をさらっとつけてたりするんだけどもさ。一緒に仕事してる定年前の、仕事がバリバリできるオジサマが、腕につけてる金のオメガが妙にかっこよく見えるんだけどさ。とりあえず、僕に関して言えば、1桁値段を間違えるような程度の知識しか持っていないものに、そんな大金を払うなんて、微妙な話だとおもってしまう。



腕時計にいくら出せるか?なんて質問を自分にしているうちは、時間を刻むことが目的である以外の時計は買えない。
てか、仮に僕が、なんとかコンスタンタンとか、なんとかフィリップとか、なんとかハムの腕時計をしてても、それが本物だと思う人は誰もいないだろうし。(上を見すぎ)
とにかく、「妙にカッコイイがや」ってなぜか名古屋弁で思った瞬間の気持ちで、今、欲しいと思うものが出てこないと駄目だろうな。



そして僕は来週も会社にいるときだけ、高校の入学祝いに両親が買ってくれた、性能的に何の申し分のない腕時計を左腕に着ける。
多分、こんな事を言いながら、一生腕時計は買えない気がする。今持っている、その腕時計は、壊れないもの。