決して、後ろ向きな気持ちじゃなくてさ

心みたいな空

僕が生まれてから、最近までの写真をパラパラっとみていると、今までこんなに多くの人たちとであって、支えられて生きてきたのかと当たり前に思う。切なくなってみたりする。

小さな時、一緒に遊んでいた近所の同い年くらいの人、親戚の人。おばあちゃん、おじいちゃん。両親の笑顔。小学校の時の友達、インドネシアで仲が良かった友達、中学の時の友達、高校の友達、大学の友達、すれ違ったような出会いで仲良くなった人、バンドを一緒にやってたから会えた人、旅をしていたから会えた人。僕がそこに生きていたから会えた全ての人。
今は連絡先も分からなくなってしまっているけれど、そのときの僕に絶大な影響力を与えてくれた人がいたりする。今の「僕」になるまで、色んな「僕」がいたのだと、これも当たり前に思う。そして、切なくなってみたりする。


人生って、人と出会うことなんだと、当たり前に思う。一期一会は大切なことだ。 あんなに大事に思っていたり、好きだったり、慕っていた人たちに、今会いたいと思っても、すぐに会えない。死んでしまった人もいるし、なんだかケンカでもしたようなままで、話さなくなっていった友達もいる。失ってしまったんだなって思う。あのときの笑顔だとか時間だとか。あんなにたくさんの人に会ってきたのに、あんなに楽しく名前を呼び合っていたのに、今、その人と一緒にいないのはどうしてだろう。そんな友達が、数え切れないくらいいる。その中の何人かは、結婚って言ういい機会に、声をかけてみたりする。それに答えてくれる気持ち良さ。


今、自分が生きている周りを見ると、やっぱり色んな人がいて、一緒に笑ったりしていたりする。それって、当たり前なんだけど、やっぱり最高の事なんだな。そうなんだ、僕は時間を越えて生きられないんだな。今の僕には今しかないけど、今は本当に素晴らしい時間なんだと。


失わずに、忘れずに生きて行く事は、多分出来ないし、前を向いていればそれは何も悪い事じゃないのかもしれない。それとはまた別に、今僕の身の回りにいる人とは、もっといい関係になれて、ずっと楽しくやれたらいいのにな、と贅沢に思っていたりする。何も特別なことじゃないのだけれど。


なんだか、そんな気分で、全部を集めて元に戻すことは出来ない自分の人生の経過を感じている。贅沢な事を考えているのかなと、思いながら。