ザ がんばらない 美学

イグアスのトカゲ

「がんばっている」と言う言葉は嫌いである。変な言い方だけれども、そんな言葉、使った時点で「がんばって」いない。
自分に限界をつくってはいけない。今以上の力は出せる。出さなくてはイケない。毎日そうやって生きていこうとしてる。だから、「がんばってる」なんて言わない。今でがんばっているのなら、明日も同じ。明日が今日以上のものでないと、年を重ねる意味が無い。

そんな事を言っていたら、ふと思い出した。甲本ヒロトが、「がんばらなくちゃ音楽が出来なくなったら、僕は音楽をやめます」と、いつかのライブで言っていた事を。
そういや、中学校の同級生が人が、こう言っていた事も思い出す。「「がんばれ」って人に言う事、ものすごく無責任で冷たいよね」って。
けれど、塾の先生が言っていた、こんな言葉も思い出す。「「NO PAIN, NO GAIN」を和訳すると「がんばらなくっちゃ」って感じになるんだろうね。」


「がんばらなくっちゃ」って言葉の響きは好きだな。なんか、自分に言い聞かせてる感じと、前向きな気がするところが。
あ、今思い出したけど、関白失脚の歌の最後で、さだまさしが連呼する「がんばれ」は好きだな・・・橘いずみが、なんかの歌の最後に叫ぶ「がんばれ」も好きだな。ちょっと違うかも分からんが、長渕の「気張いやんせ」も好きだな。

「がんばっている」は嫌いなんだけれど、「がんばったな」って言う過去形は好きかも。「あの頃は、本当にがんばってたな」ってふりかえって思う事は、別に悪いことじゃないさ。ねえ、アンタ、少し変かな?

よく分からなくなってきた。難しい言葉だわね「がんばれ」って。まあ、なんていうか、僕はね、ただ毎日が楽しくて充実していればいいのさ。そんな日をずっと続けて生きたいのさ。動物園みたいな世の中だからね。「ほらね、そっくりな猿が、僕を指差してる。愛を下さい。」