気持ちの問題

前から思っていたことで、さっき立ち読みしていた「ダーリンは外国人2」の最後の方にも同じような事が書いてあって、みんなそう思ってるんやな・・・と思った事がある。
僕の言葉で言うと、それは「作り笑いも笑顔のうち」って言うこと。
作り笑いでも、笑ってみると、なんか自分的にはどうにかなりそうな気がすると思うのだ。無理にでも笑えるくらいの余裕や、自分を客観視出来る自分がいる状態なら、自分的には大抵の事はどうにかなると、僕は思っている。なんとなく、心に余裕のありそうな、はみかみ笑いを作って、人ごみの中を歩いてみると、本当にどうにでもなりそうな気がするし、世の中は予定調和で、最終的にはいい方向に向かって行くような気がする。本質的に、絶対的に悪い事なんて、自分が決めない限り存在しない。僕はそう思いたい。
つまり、「♪鏡の前、笑ってみる、まだ平気みたいだーよー」という「どんなときも」のワンフレーズ。槇原敬之現象なわけである。個人的には、人ごみの中で笑っている方がいいけども。
今の状態を形成している物質的な事実は変わらなくても、精神的なものなんて解釈次第でどうにでもなるはず。物事の本質は精神世界にあると思いたい。僕は、そういう風に生きている。
けれど、人間の悩みの8割は人間関係だと聞いた事がある。それ以外にも、逃げられない社会的責任を伴う悩みとかも結構大変なもの。そう思うと、自分ひとりの思い方で、どうにでもなるような悩みは、きっとかなり軽い方の部類なんだと思う。それでも、前向きに物事に向き合うのと、それが出来ないのでは、えらく違うと僕は思う。悩み、って言うのは物質的なものではなく、精神的なもの。物質によって精神が満たされれば解決するかもしれないけれど、そんなに簡単にいく事はあまりない。精神的なもの、心の重さ。それは、その人にしかわからない。だから、自分でどうにかしようとしなくては、と僕はいつも思う。思いながらも、鬱になってみたり、誰かに頼ってみたりする事もある。だけど最後にそれをよい方向に導けるのは自分しかいない。結局自分にしかわからない重さなのだから。
何が言いたいのか自分でもわからなくなっているけれど、途中から何一つわからないまま書き続けたのだから仕方ない。槇原あたりまでは、分かってたのだが・・・まあ、ともかく、どんな顔したらいいのか分からないのなら、笑えばいいと思うよ。