怪物の取捨選択

しばらく前から始まってるウルトラマンネクサスを初めて見た。はじめて見たのでよくわからんかったけど、予想通り複雑そうなストーリーなのかなあ、と思うヒーロ物だった。ウルトラマンは、自分の陰が生み出したウルトラマンと戦うのに必死で肝心の悪者を倒すどころじゃない。そんな感じで次回に続いてた。
 ところで、出てきた悪モンの怪物は、まず、その場にいたブ男をあっさりぶっ殺す。その後、アイフルみたいなかわいい犬を抱いた「いたいけな少女」が出てきて、彼女を助けるために、新人地球防衛軍みたいな隊員は必死になる。

 んで、ここで人が考える人の命の大きさは必然的に平等ではないのだな、と思う僕がいる。最初に殺られてしまう男は、出てくる男は怪物の恐ろしさをみんなに伝えるための捨て駒。その後の少女があっさり殺されてしまうと、恐ろしく夢のない話になってしまう。だけど少女は簡単には殺されない。怪物もあっさり殺さない。そうしないとドラマが生まれないから。

 少女は守られて、ブ男は殺される。ホラー映画なんかでも、ブ男、ブサイク、性格の悪いやつが生き残らないことと同じである。

 現実のマスコミも似たようなものかと思う。話題性のあるニュースは大きく報道されて、話題性のないニュースが小さくなる。
 結局、感情が支配する。僕らは感情に支配される生き物。感情が支配する生き物。



 ところで、11月13日、毎年この日にモンゴリアーズという名前を思い出す。ちなみにキムタクの誕生日でもある。ああ、あんたはハウルなんだね。来週公開なんだね、ハウルの動く城