平和ボケ

怖い。

多くの日本人は平和ボケをしているのだろうと思う。
なんだろう、この気持ち。


ボスニアヘルツゴビナの首都サラエボで、住宅地を歩いていた。
住宅地の真ん中に、白くてきれいな墓石が大量に並んだ墓地があった。
そこに葬られた人たちの生まれた年と、亡くなった年がその墓石には記されていた。その墓地に刻まれた亡くなった年の半数以上は1993年だった。

ボスニアには、都市の真ん中によく墓地があったような記憶がある。
首都サラエボにはかつてのボスニアオリンピックで使われたスタジアムがある。その脇のサッカーグラウンドが墓石で埋め尽くされているというのは有名な話。墓地をつくる土地がなかったほどの人がそのとき亡くなったのだ。今もそこは墓地であり、その墓地の脇は活気のある大きな市場で、多くの人たちが行きかっていた。人々は明るい。しかし、まだまちの古い建物には数え切れないほどの銃の跡が残り、そのままにされている。


そんなサラエボでなんとなく印象深い光景を見た。
最初に書いた墓地を通り過ぎ、歩いてるときに子どもたちが遊んでいる風景が目に飛び込んできた。子供たちは無邪気で、なにやらはしゃいで遊んでいた。僕は、そういう光景を見るのが好きなので、何をしているのか興味ありげに見に行った。
そこで見た光景に僕は一瞬混乱した。子ども達は、みんな手におもちゃの銃を取り、それで撃ち合う真似事をして遊んでいたのだ。そのこと自体は特になんでもない、よくある子ども達の遊ぶ風景である。しかし、ここはサラエボである。10年前の戦争をよそに、子ども達はそうやって無邪気に遊べるものなのだ。きっとこの子ども達自身は戦争の事は自分の中の経験にはないのだと思うが、僕はその瞬間なんとも言えない気持ちに混乱したことを覚えている。

感傷に浸って異国情緒を楽しむバックパッカーほど、人々は後ろ向きではなく、前向きに生きているのだろうと僕は解釈した。そうして時代は流れ、人々は昔のことを風化させまいと努力をしなければならないようになるのだろう。その努力は、戦争中の生き延びようとするそれとはまったく違うものだ。全ての人たちが、そういった努力をすることの出来る世の中になるのはいつだろう。
今、平和ボケできる人のいるところでも、出来ない人のいるところでも。